天才に賞味期限はあるか? -ブラッド・メルドーの軌跡

天才が囚われがちなある強迫観念とは

 人間はまったく同じ環境下で一定の緊張感を持続し、高度な作業を続けるのが心理的にむずかしい。とりわけ気まぐれな芸術家気質の人にそれは顕著だ。

 また天才的なクリエーターには、「今まで自分がやってない新しいことをやらねば」、あるいは「まだ人類の誰もがやっていないことを自分がやらなければならない」、「そうでなければ自分は生まれてきた意味がない」という、天才型の人物特有の強い強迫観念がある。

 作っては壊し、作っては壊し、を繰り返したマイルス・デイヴィスなどはその典型だろう。そして古今東西、音楽に限らず、この観念に囚われて自爆したクリエイターは数多い。無理に目先を変えようとして失敗するのだ。

 90年代に新しいジャズの地平を切り開いた3人の天才にも、この法則は見事にあてはまる。彼らはよくも悪くもピュアであり、「次は何か(天才らしく)新しいことをやらなければ」と考えてしまうのだ。

 そんな観念に囚われたジョシュア・レッドマンは、「Compass」 (2009) でダブルベース、ダブルドラムスという曲芸を実行に移し、あえなく自爆した。

 またアルバム「Our Secret World」 (2010) で若くしてセルフカヴァーなんぞをし、「もうネタ切れです。終わりました」と自ら宣言したカート・ローゼンウィンケルもそうだ。彼の場合は「ビッグバンドと共演する」という目先の変え方をし、強迫観念から逃れようとした。

 そして本題であるブラッド・メルドーは「Highway Rider」 (2010) で、室内管弦楽団をバックに演奏する、という目先の変え方をした。ブラッド・メルドー・トリオ新作 「Ode」 のレヴュー記事 (別頁あり) で、「『Highway Rider』を聴き、メルドーは終わったと思った」と書いたが、それはレッドマンやローゼンウィンケルの例と同様、あの「Highway Rider」が天才型の人物特有の強迫観念の具現化だと強く感じたからだ。

同時期に活躍し自爆した3人の天才

 さて、では彼ら3人がトップフォームで活躍した期間はそれぞれどうか? レッドマンはデビュー作 「Joshua Redman」 (1993) から、「Compass」 (2009)までは16年。だが実質的には、目先を変えようとした一度目のあがきである「Elastic」 (2002) の時点でもう終わっていたのだろうから、とすればちょうど約10年になる。(James Farmは全くいいと思わない)

 一方、ローゼンウィンケルはデビュー作「East Coast Love Affair」 (1996) から「Our Secret World」 (2010) までは14年と、レッドマンの16年とほぼ同じだ。ただし彼は初期にはふつうの曲をふつうに演奏していた。彼が本格的に革新性を発揮したのは「The Enemies of Energy」 (2000)から。もしくは完成度でいえば、次の「The Next Step」 (2000) から、としていいだろう。とすればレッドマン同様、「Our Secret World」 (2010) まではちょうど10年になる。

 ではメルドーはどうか? デビュー作「Introducing Brad Mehldau」 (1995) から「Highway Rider」 (2010) までは、他の2人とほぼ同じ15年である。とはいえメルドーも初期の頃は割にふつうの演奏だった。アルバムトータルとしての明らかな革新性や作品性を感じさせたのは「Places」 (2000)からだ。とすれば彼も「Highway Rider」 (2010) までは、ぴったり10年である。

 こんなふうに90年代から2000年代にかけ、新しいジャズの地平を切り開いた3人の天才は同じような時期、同じような期間(10年間)にわたり才能を発揮した。そして奇しくも同じ頃(2009年~2010年)に、「今までやってないことをやらねば」という観念にかられて自爆したことになる。

 彼ら3人は今後、過去の諸作をはるかに凌駕する作品をまた生み出すことはあるのだろうか? いや、どうも旬は過ぎた感がある。とすれば天才の賞味期限とは、案外、せいぜい10年ぐらいなのかもしれない。

メルドーのピークは2000年代の前半か?

 ブラッド・メルドーはロックの楽曲を積極的にレパートリーに取り入れ、ジャンルを超えた演奏をしてきた。またリズムの解釈なども革新的だった。そのため保守的で頑迷なジャズ評論家やジャズマニアからたびたび標的にされた。

 例えばメルドーの軌跡を振り返ると、デビュー作の「Introducing Brad Mehldau」 (1995年録音) からしてかなりの完成度だ。特にM-1~5におけるグレナディア / ロッシ組のリズムの解釈は非常に新しく、この時点で早くも古いジャズファンはついて行けないかもしれない。

 百歩譲ってセカンド作 「The Art of the Trio, Vol. 1」 (1996年録音)あたりまでなら、保守派、革新派(若いリスナーを仮にこう呼ぶ)の誰もが「いい」と評価しそうだ。だがニック・ドレイクやレディオヘッドの楽曲を取り上げたスタジオ録音3作目 The Art of the Trio, Vol. 3 「Songs」 (1998年録音) の時点で、はっきり「コマーシャルすぎる」、「ジャズじゃない」と叩く人が登場する。

 個人的にはロックもふつうに聴くのでこんな説にはまったく組しないが、メルドーの頂点はやはり2000年代の前半あたりだったのではないかと考えている。すなわち「Places」 (2000年録音)と、Art of the Trio, Vol. 5 「Progression」 (2000年ライブ録音)、「House on the Hill」 (2002年10月に「Anything Goes」と同時録音) の3作が立て続けに録音された時期だ。

 特に「Places」と「House on the Hill」が持つ作品性、芸術性は諸作の中で突出しており、音を聴いただけで「そこには何か得体の知れないストーリーが潜んでいるのではないか?」と感じさせる気配がある。インストゥルメンタルでありながら、音で歌詞をイメージさせるかのような奥深さをもっている。またメロディーだけでなくリズムの解釈も新しく、2000年代へと続く新しいジャズの流れを作ったといえる。

 一方、初期のライブ「Live At The Village Vanguard」 (1997年録音)、「Back At The Vanguard」 (1999年録音) は、音符をひたすら速くたくさん詰め込もうとするメルドーの若気の至りが(ライブ演奏ということもあり)爆発しており、個人的にはうるさくて聴いていられない。だが2000年にライブ録音された傑作「Progression」 はまったくそんなことはなく、抑えて弾くところは抑える、行くところは行く、というメリハリがついて円熟味を感じさせる。

 その後リリースされた「Day is Done」 (2005年録音) や 「Live」 (2006年録音) はエンターテインメントとしてふつうに楽しめるが、前出「Places」や「House on the Hill」が持っていたようなエポックメイキングな革新性や新規性、独自性はもはやない。結論的には、メルドーが芸術性や作品性を世に問い、最高にトンガっていた時期はやはり2000年代の前半までだったように感じる。

 新作の 「Ode」 はそうした神がかった崇高さのようなものからはもはや突き抜けた、キャッチーなメロディーが耳に残る優れたポップ・ミュージックといえるかもしれない。
スポンサーサイト

テーマ : JAZZ
ジャンル : 音楽

Brad Mehldau Trio / Ode

bm_o

Brad Mehldau (p)
Larry Grenadier (b)
Jeff Ballard (ds)

Rec. November 17, 2008 & April 19, 2011, at Avatar Studios, NY
Engineer: James Farber (Nonesuch 7559-79628-4)

ブラッド・メルドーと神の終わり

 泣く子も黙るブラッド・メルドー・トリオの最新作である。だがそこにはリスナーを戦慄させ、畏怖の念すら覚えさせた、あのメルドーという名の神はいない。ブラッド・メルドー「のような何か」があるだけだ。

 ひとことでいえば、ルーティン・ワークにいそしむ60代の老人たちのような演奏である。

 方向性としては明快で、単純に「Day Is Dane」 (2005年録音) 、「Live」 (2006年録音) の延長線上にある音だ。だが決してあれらのアルバムを上回るデキではない。(というか、あれらのアルバム自体、その前時代のような革新性や新規性はない)

 本作にはあの「Places」 (2000年録音) や、「House on the Hill」 (2002年10月に「Anything Goes」と同時録音) のように、「おや、ここには何か得体の知れないストーリーが隠されているようだぞ」と思わせるような、底知れなさはまったくない。あの頃のように時代を切り開き、何か新しいものを創造しようとしていたエネルギーはみじんも感じられない。メルドーという一定の方法論にのっとり、拡大再生産したただの楽曲群がころがっているだけだ。

 本作には「おお、ここ、いかにもメルドーっぽいな」と思わせる瞬間が数多くある。逆に言えばどれも、過去にメルドーの諸作で聴いたことのあるメルドー節だ。天才メルドーには明らかな手クセなんて2つくらいしかなかったと思うが、本作は手クセと思われるフレーズや聴いたことのある導入部、サビ、コード進行の連発だ。それらはあたかも本作がメルドーのパロディー集であるかのように何度も繰り出されてくる。拡大再生産とはそういう意味だ。

 私は別に、ギミックたっぷりで目新しい奇抜なものを求めているわけではない。拡大再生産として本作を見ても、その雛形になった原型(過去の諸作)を上回るものでは明らかにない、ということだ。これはいわば抜け殻であり、結局は黄金時代を共有したロッシと袂を分かったことが「終わりの始まり」だったのか、という気がする。

 これがそのへんのバンドなら、「なかなかのもんだね」ぐらいには褒められるのだろう。だがこれはそのへんのバンドではない。ブラッド・メルドー・トリオなのだ。リスナーには当然、「今度はどう驚かしてくれるのか?」という過大な期待がある。そのプレッシャーをことごとく跳ね返し、期待通りか、あるいはそれ以上に毎回リスナーの腰を抜かせ続けなければならないのだ。

 考えてみれば、「ブラッド・メルドーという仕事」は大変である。

 かつて私はメルドーを熱心に追いかける「メルダー」だった。90年代以降の新しいジャズを聴き始めたのも、メルドーに出会ったのがきっかけ(別頁あり)だった。

 だが「Highway Rider」 (2010) を店頭で全曲試聴して以降、その「Highway Rider」を含めて以後メルドーの作品はすべて完全スルーしてきた。「もう終わった」と思ったからだ。(おまえは 「Largo」 (2002) を知らないのか? などといわないでほしい。そういう問題じゃないのだ)。

 そして本作を聴くという作業は、結局その「終わりの確認」でしかなかった。

 そのうち彼らはキース・ジャレットの「年金トリオ」みたいになって行くのだろうか。メルドー・トリオという金看板があれば、「スタンダーズ・トリオ」と同じで一生食いっぱぐれなんてないだろうし、それもまたひとつの人生だろう。だれにもそういう生き方を批判する権利なんかない。

 最後に気になるのは、なぜ録音が2008年11月17日と、2011年4月19日の2回に分断されて行われたのか? ということだ。それが気になる。おそらく何かトラブルがあったのではないか? 2008年に録音した後いったんトリオが空中分解しかけ、その後なんとか持ち直して2011年に追加録音した上で形だけ整えた、とか何とか。そうすればこの抜け殻ぶりにも合点が行く。

 一応、各曲の印象も書き残しておこう。

【M-1】

 冒頭を一聴し、「そう、これ、あのメルドーっぽい」と思わせる感触のナンバー。だが逆にいえばメルドーの手クセを切り張りしたかのような曲だ。ベースラインは前出「Live」の M-1 の変形のようなリフ。断片をうすく引き伸ばしたような曲だ。というより、曲ではなく断片の引き伸ばし、か。

【M-2】

 ロマンチックなメロディー。随所にメルドー香が漂う。これは文句なく美しい。

【M-3】

 メルドーっぽい断片のただの繰り返し。ときどき「House on the Hill」の破片が顔を出す。どこかの大学の軽音楽部の子が3人集まり、その場でテープを回しました、みたいな感じ。

【M-4】

 メロディアスではあるが、コード進行はありがちなパターンだ。ミュージシャンの間で「黄金パターン」と呼ばれるコード進行である。すなわち「この進行通りにコードを組み立てれば必ずかっこよくなる」というマニュアルにのっとった曲だ。メルドーなら、足で弾いてもこの程度はできるのだろう。

【M-5】

 ブルースっぽいナンバー。M-1やM-3とちがい起承転結がある。ただしこの曲はキーさえ決めれば5分でできる曲だ。

【M-6】

 またもよくあるコード進行。この曲あたりから、印象をメモる気が失せてきた。この楽曲と同じく気持ちがフェイドアウトしそうだ。

【M-7】

 このベースラインを聴いているうち、なにか物悲しいこっけい感を覚えてきた。これがあの、私の前に超然として聳え立っていたラリー・グレナディアなのだろうか?

【M-8】 パターンナリズムの極致。ノーコメント。

【M-9】 数合わせの捨て曲。時間のムダ。

【M-10】

 冒頭を一聴し、「そう、この感じ。これ、メルドーっぽい」という懐かしい感情がわく。M-1の頭を聴いたときと同じ感じだ。だが逆に言えばこれはメルドーの手クセの集積であり、拡大再生産にすぎない……と思ったらすぐ終わった。

【M-11】 本作ではいちばん楽曲らしいか? メルドー節が聴ける。


(追記)

 本作は前々回で辛めに採点した「Introducing Joe Sanders」 (別頁あり)と同じく、メルドーを知らないふつうの人がふつうに聴いたらふつうに楽しめるアルバムだ。あるいはメルドーの作品なら何でもいい恋は盲目なファンが、メルドーの名場面集として聴くにも楽しい。偏屈者の戯言は話半分で聞いておいてほしい。

【関連記事】

「天才に賞味期限はあるか? -ブラッド・メルドーの軌跡」

テーマ : JAZZ
ジャンル : 音楽

Dayna Stephens / Today Is Tomorrow

ds_t

Dayna Stephens (ts)
Michael Rodriguez (tp, flh on 2,6)
Julian Lage (g on 4,6,7)
Raffi Garabedian (ts on 3)
Aaron Parks (p)
Kiyoshi Kitagawa (b)
Donald Edwards (d)

Rec. October 27, 2011, at Systems Two Recording Studios, NY
Engineer: Michael Marciano (Criss Cross 1345)

スルメ化の予感ありあり、漂うような味わい深いバラード集

 サックス奏者、デイナ・スティーブンスが先月末に出したばかりのセカンド・リーダー作だ。緩めのバラードが多くゆったりリラックスでき、聴けば聴くほど味が出る超おすすめ盤。ピアノにアーロン・パークスのほか、ニューヨークを拠点に活動している北川潔 (b)、また注目の若手ギタリストであるジュリアン・レイジが3曲参加しているのも話題だ。

 スティーブンスはバークリー音大卒の1978年生まれ。2007年発表の「The Timeless Now」(CTA)でデビューし、チック・コリアのバンドに在籍したこともある。決して力まず熱くならないクール系で、気だるく今っぽい演奏をする。最近のプレイヤーではマーク・ターナーや、ジェレミー・ペルト作品でプレイしている時のJ.D.アレンに近い感じだ。個人的にはどストライクだが、ただし「ジャズに熱さや力感は絶対条件だ」という人はピンとこないかもしれない。

 スティーブンスのオリジナルが5曲、参加メンバーのアーロン・パークス2曲、ジョー・ヘンダーソンの「Black Narcissus」、スタンダード2曲の合計10曲。地味めのスロー~ミディアム・バラードが多く派手なナンバーは皆無だが、一聴して 「よさそう」 と感じるのだから聴き込めば必ずやスルメ化すると見た。非常に好みだ。

 Criss Cross が2月にリリースした4枚のうち、「Introducing Joe Sanders」 は早々に購入確定していた。あとは残り3作をネット試聴し、好みに合いそうな本作を選んだが正解だった。気負い込んで買った「Introducing~」より、すでにこっちの方がすっかり気持ちよくなっている。

ジェレミー・ペルトの最新作 「Soul」 に近いさり気なさ

 適度に4ビートをまじえながら、漂うようなノリの楽曲が続く。アルバム全体のテイストとしては、バラード寄りだったジェレミー・ペルトの最新作 「Soul」 (2012) のM-1~M-5に近い感じだ。

 パッと聴きでは美しいM-1と、NYC的でとんがったM-10のインパクトが強い。あとはキメがかっこいい4ビートのM-2や、陽気でわかりやすい4ビートのM-5、ギターのバッキングが印象的で味のあるM-6あたり。今っぽく浮遊したあとウォーキングベースになるM-8もいい。ただ逆にM-3やM-4、M-7、M-9のように、一見地味な深みのあるバラードこそが実はスルメ化するものだ。現にM-7、M-9は聴くたびによくなっている。

 ちなみにM-4の 「De Pois Do Amor, O Vazio」 は、ウェイン・ショーターのBlue Note最後の作品 「Odyssey Of Iska」 (1970) の4曲目に収録されていた曲である。そう、あのショーター世紀の実験作 「Super Nova」 (1969) から続く3部作の最後に当たるコンセプト・アルバムだ。

 この盤を買った動機のひとつでもあるジュリアン・レイジは、参加3曲のうちそのM-4で美しく儚いソロを決めている。あとはM-6で何気ない系のソロを聴かせ、出番最後のM-7では味のあるバッキングに徹している。レイジの演奏を聴くのはまだ2度目だ。初めて聴いたのは、バンド全体がやたらにうるさい点だけが印象に残ったエリック・ハーランドの 「Voyager」 (2010) だったので、ギターはまったく記憶にない。本作では彼を見直せてよかった。

 一方、リズム隊は初聴きだが、すんなり耳に馴染んだ。ベースの北川はM-5とM-9、M-10、ドラムスのエドワーズがM-6でともにソロを披露しているが、どちらもまっすぐ素直で筋がいい。特に北川が聴かせたM-10のソロはミステリアスでとても印象に残る。

 最初にひと通りアルバムを味見したとき、最終曲のM-10を聴き 「うわぁ、冒頭のとぼけたメロディーと浮遊したリズムがいかにも今風だなあ。NYCっぽい」 と思ったら、案の定アーロン・パークスの作曲だった。パークスは特にM-7、M-9でさり気ないながらすごくいいソロを弾いている。ヒット作請負人の彼は、きっと本作でもアレンジ面など裏でかなり糸を引いてるんだろう。パークスの仕掛けは今回も見事に当たったようだ。

テーマ : JAZZ
ジャンル : 音楽

Joe Sanders / Introducing Joe Sanders

js_i

Joe Sanders (b)
Will Vinson (as)
Luis Perdomo (p)
Rodney Green (ds)
Gretchen Parlato (vo on 6)

Rec. October 17, 2011, at Systems Two Recording Studios, NY
Engineer: Michael Marciano (Criss Cross 1344)

若手ベーシストの注目株が放つ初リーダー作

 天才ピアニスト、ジェラルド・クレイトンのレギュラートリオを務めるベーシスト、ジョー・サンダースが先月末に発表したばかりの初リーダー作だ。いままで折に触れ紹介してきたが、若手ベーシストの中では当ブログいち押しの使い手である。

 参加メンバーは、熱いサンダースとは対照的なクール系の旗手ウィル・ヴィンソン (as)、またドラムスにはロドニー・グリーンを配した。彼ら2人はヴィンソンのセカンドアルバム 「Promises」 (2008)で共演歴がある。

 一方、ビアノはニューヨークを舞台に活動しているベネズエラ出身のルイス・ペルドモだ。また2004年のモンク・コンペで優勝し、いまや日の出の勢いの女性ヴォーカリスト、グレッチェン・パーラトが歌と作曲で1曲のみ参加しているのも話題だ。

 サンダースのオリジナルが5曲、その他5曲の計10曲。90年代後半~2000年代に出てきた若手は技巧派のプレイヤーであると同時に、コンポーザーとしても優れていることが多い。サンダースもその例に漏れず、オリジナルの出来がいい。

 いま風のモーダルなコンテンポラリー調で、中盤以降の演奏が大盛り上がりなM-1、M-7のほか、夜明けをイメージさせるバラードのM-2もいい。オリジナル以外ではM-3、M-5、M-9の熱演が目を引くし、ハートウォーミングなスタンダードのM-4も可愛らしい。

 このほか特に1曲だけ参加している女性ヴォーカリスト、グレッチェン・パーラトとの共作になるM-6は、メロウで美しくとても素敵だ。曲だけでなく歌もすばらしい。グレッチェンには冒頭の第一声を聴いただけでゾクッとさせられた。1曲しか歌ってないのに、彼女は本作のおいしいところをすべて持って行った感じだ。

 グレッチェンは、一瞬で聴き手をフリーズさせる強烈なオーラをもっている。彼女の歌はウルトラマンのスペシウム光線に等しい。まさに瞬殺だ。ほかの誰もが持ち得ないオンリーワンの魅力、彼女だけの芸術性にあふれている。さすが2004年のモンク・コンペ優勝はダテじゃない。「もってるオンナ」はおそろしい。

クリスチャン・マクブライド式の爆裂的なハジけ方

 かたや主役のサンダースはパット・メセニーの名曲「Question And Answer」 (1990)を取り上げ、あのテーマ部をベースで弾いたかと思えば、M-3とM-5、M-6、M-9ではカート・ローゼンウィンケルばりにフレーズを口ずさみながらベースソロを弾く。それぞれ1分48秒、1分35秒、1分8秒、1分17秒のソロである。サンダースは大熱演だ。

 だが4曲ものベースソロを芸として成立させるのは、彼にはいささかオーバースペックである。いや技術的には問題ないが、完全に「お店がちがう」のだ。そもそも彼はジョン・パティトゥッチのように、アクロバチックな超絶技巧でしょっちゅうソロを取ることを売りにするタイプでは明らかにない。サンダースはボトムを支える典型的な「楽曲の背後にあってこそ生きる」タイプのベースだ。それはベーシストのあり方としてきわめて正しい。

 ノリとしては、彼はクリスチャン・マクブライド式の爆裂的なハジけ方をする。マーカス・ストリックランドとやってるベン・ウィリアムスとならび、20代の若手ベーシストの中では最も注目すべきプレイヤーである。

 さてベースソロ以外のプレイはさすがサンダースだ。ぐりぐりとはち切れんばかりに躍動感があり、まあよく跳ねること跳ねること。聴いてるうちに思わず腰が浮いてしまう。彼はリスナーの心を自然に躍らせるそんなベースを弾く。私は曲芸みたいなギミックたっぷりのソロじゃなく、クソみたいに地味でも人の魂を揺り動かし、怒っている人間も笑顔にさせる彼の普段着のベースが聴きたい。

 一方、ドラマーのロドニー・グリーンのプレイも実に彼らしい。バスドラとスネア、タム、すべてが微妙に突っ込み気味でクイッ、クイッと独特のタイミングで入る。特に速いパッセージのおかずになると半ばもつれたようになるのも特徴だ。非常に個性的なドラマーであり、アクが強い。彼のそんな特有のノリは私の辞書には存在しない。ゆえに個人的にはやや違和感を感じる。

 だが好き嫌いは別にして、もちろん技術的には見るべきものがある。特にM-5で聴ける1分12秒のドラムソロなどは超かっこいい。この曲のドラムソロ以降のグリーンの激しいプレイは、J.D.アレンのデビュー作「In Search Of 」(1998)でグリーンが演じた超絶技巧の真っ赤っかに熱いプレイを髣髴とさせる。あのアルバムでのドラミングは、好みの違う私が聴いてもすごいと感じた。

 またサンダースとのコンビネーションも、特に問題があるわけじゃない。ただしサンダースがレギュラーでプレイしているクレイトン・トリオのドラマー、ジャスティン・ブラウンとならば、もっとガッシリすべてが結びついた緊密感がある。またウォルター・スミスⅢのアルバム「Ⅲ」でのエリック・ハーランドとサンダースの組み合わせは、地を這うように重くて惚れ惚れするノリだった。それらにくらべ本作のグリーンとのコンビは、どうもドラムだけが浮き上がって上滑りするような感じでやや一体感がうすい。

高域寄りでシンバルがシャリつき、中低域に密度感がない音質

 次は音質についてだ。まず最初に1曲目のドあたまの音を一聴し、シンバルのひどいシャリつき方に「うわぁ」と顔をしかめた。このシンバルの異様な反響はつらい。全体に帯域バランスがHi方向に偏りすぎだ。ベーシストのリーダー作が高域寄りではシャレにならない。

 そのため相対的に中低域の密度感がなく、少しオーバーに言えばスカスカな音だ。ベースの音もサンダースならもっと太いし、重心も低い。低域の量感が充分に出ていない。

 レコーディング・エンジニアを務めたマイケル・マルシアーノは、どうやらかなり波があるようだ。例えばウィル・ヴィンソンの「Stockholm Syndrome」 (2010)も今回同様生気がなく、音が前に出て来ず貧相な音質だった。

 だが、かと思えば同じ2010年に手がけたウォルター・スミスⅢの Criss Cross デビュー作「Ⅲ」は、立体的な音場感が豊かで、解像感もすばらしかった。何の加減でこんな天と地ほどの差が出るのかわからないが(プロデューサーの意向が介在してるとか?)、わたし的には最近すっかりマイク・マルシアーノへの信頼度が落ち、ジョー・マルシアーノかジェームス・ファーバーを切望するようになってきた。はてさて。

優れた断片は散らばっているが方向性が見えない

 では評価をまとめよう。本作には優れた断片がたくさん散らばっている。だがそれらが有機的に組み合わさり、ひとつの絵を描いてない。アルバムトータルとして何がしかの物語を紡ぎ出すには至ってない。一見、デキはいいのだが、バンド全体に「同じベクトルを共有する者同士」の一体感が感じられない。

 そもそもヴィンソンとサンダースという、陰と陽の対照的な2人を組ませたキャスティングには、リリース情報を事前に知った時点で疑問だった(別頁あり)。ヴィンソンは決して熱くならないクール系だ。いい意味で暗くて思索的、淡々と抑制的に演奏する。一例を挙げればレニー・トリスターノやリー・コニッツと同じだ。絶対エネルギッシュにならず、演奏がひんやり醒めてるところが味わい深い。

 で、ヴィンソンは今回も自分のそんな持ち味通り、クールに淡々と吹いている。個人的な好みだけでいえば、私はこうした彼の演奏のよさがわかる。また客観的にもこのタイプの演奏は、コンテンポラリー・ジャズのひとつのスタイルとして確立している。だが問題は、ヴィンソンのそうした演奏スタイルが本作のコンセプトに合っているのかどうかだ。

 たとえば本作のメインディッシュであろうM-1、M-3、M-7、M-9あたりは、一見、クールに醒めたNYC的なコンテンポラリー調に聴こえる。だがこれは無機的なキャラのヴィンソンが吹いてるために、たまたまそういう「お面」をかぶってしまっているのか? あるいはヴィンソンのそんなキャラをちゃんと計算した上でフィーチャーし、狙い通りにそうなっているのか? このへんがよくわからない。

 もう少し細かく聴こう。たとえばM-7は曲の冒頭の醒めた感じがヴィンソンにハマっている。さわりだけ聴けば、「狙って彼を使ったな」と思える。だが曲調はすぐに一変し、醒めキャラのヴィンソンには明らかに似つかわしくない大盛り上がり大会になっちゃう。全員の演奏が残らず熱く、周囲がホットなのに、でもヴィンソンだけがいつまでも凍ってる、みたいなギャップがある。似たようなことはM-1やM-3、M-9にもいえる。

 これはヴィンソンの最近の参加作であるジョナサン・クライスバーグの「Shadowless」(2011)や、アリ・ホーニグの「Live at Smalls」(2010)でも起きたミスマッチ現象だが、ひとことで説明すればミスキャストだ。よりにもよって熱く躍動するこれらのアルバムに、抑制的で醒めたところが持ち味のヴィンソンを使うなんて決めた企画が悪い。サッカーでいえば選手ではなく、使う監督の責任だ。

 ロック的でエネルギッシュな盛り上がりがウリのクライスバーグやホーニグの試合で使うべきは、うまいゴールキーパーではない。光速ドリブルで華麗に5人を抜き去り、弾丸シュートが打てる超攻撃的なフォワードである。なのに守備的なプレイヤーの典型みたいなヴィンソンを出すのはどうか。彼の起用を決めたプロデューサーなりの責任であり、企画がおかしい。

 さて、では肝心のサンダースの場合、今回は何がやりたかったのか?

 いかにもNYC的で無機的な、屈折した味のあるクール路線で行くのか? それとも「ガツンと一発お見舞いするぜ」式の、熱く情熱的なジャズを志向するのか?

 M-1やM-3、M-7、M-9の曲調やホットな盛り上げ方をみれば、サンダースは後者がやりたいように思える。なのになぜヴィンソンなのか? もちろん前者のようなクール路線を狙うなら、ヴィンソン(や例えばマーク・ターナー)を使うのは大いにわかるのだが。

 ちなみにサンダースはあきらかに陽気で開放的、明るく情熱にあふれた後者のタイプである。で、サンダースのそういう個性を生かす路線で行くなら、ヴィンソンではなくクリス・ポッターかウォルター・スミスⅢ、ジャリール・ショウあたりに吹かせれば遥かにうまく行く。これならサンダースの考えたアルバム・コンセプトと作った楽曲、プレイヤーの人選の3者がぴったりマッチする。優れた断片が寄り集まり、ひとつの物語を紡ぎ出せる。

ハーランドとポッターを連れて来い、次回作に期待だ

 さて、もし私がCriss Crossの社長サンから「お前が勝手にキャスティングしろ」と言われたら(言われないけど)、明るく躍動的なサンダースを生かすためにはぜひエリック・ハーランド (ds)がほしい。

 フロントの管には前述の通り、ポッターかスミスかショウを。で、サンダースの熱情キャラに思いっ切り振るなら、鍵盤じゃないけどウォーレン・ウルフ (vib)あたりもいい。ジャーン。ほら、なんだかいかにもリスナーが躍り出したくなりそうなサンダースの世界が見えてきませんか?

 てなわけでサンダースの熱心な追っかけであるいかな私も、今回は手放しでほめるノリにはならなかった。そもそも内容以前に音質でコケたのがまず痛い(私はこれで5割がた萎えた)。ただ楽曲はいいし、サンダースの才能にまちがいはない。残りの5割は純粋にキャスティングの問題だ。はい、次回作に期待しますとも。

(追記 1)

 なんか愛するがゆえに辛口になっちゃったが、サンダースやヴィンソンのキャラを知らない初めての人が「この人たちはこういう音楽を志向してるんだ」と思って聴くぶんには、ふつうに楽しめる作品です。サンダースとヴィンソンを生半可に知ってて、両方に強い思い入れがある私だから上のようなひねた評価になっただけ。現に演奏の質は高いし、曲もいい。とにかくM-6のグレッチェン・パーラトの絶品ヴォーカルを聴くだけでも価値がある。偏屈者の言うことはあまり気にせず、ぜひ買ってあげてください。決して後悔するような盤じゃありません。

(追記 2) 2012年4月9日付

 購入から約1ヶ月間聴き込んだが、印象がかなり変わってきた。「クール系のスパイスが欲しい」と考えたジョー・サンダースが、そのコンセプトに合うウィル・ヴィンソンを狙って起用した作品だ、と考えれば充分納得して聴ける。クールに醒めたところがかっこいい現代的なジャズとして、本作はなかなか味わい深い。

 あるいはクール系のウィル・ヴィンソンが、ちょいエネルギッシュ寄りの音にトライしようとサンダースを起用した、「ヴィンソンのリーダー作」として聴いてもまったく違和感はない。むしろ、とても楽しめる。
 
 また本文中で触れた高域寄りの音質や、ロドニー・グリーンの個性的なドラミングにも耳が慣れ、違和感がなくなってきた。

 考えてみればリスナーの側が、「このアルバムはどういう狙いで作られたのか?」などと詮索しながら聴く必要なんてない。ひねって考えすぎず、素直に出てくる音を浴びればふつうに楽しめる作品だ。

テーマ : JAZZ
ジャンル : 音楽

Marc Copland / Another Place

mc_a

Marc Copland (p)
John Abercrombie (g)
Drew Gress (b)
Billy Hart (ds)

Rec. July, 2007, at Pirouet Studios, Munich
Engineer: Jason Seizer (Pirouet PIT3031)

アバクロのリーダー作とまちがえそうなある種の迷盤

 ドラマーのビリー・ハートのプレイがひどくて痛い目に遭った Contact名義の「 Five on One 」 (2010年、レヴュー記事はこちら) の姉妹盤みたいな本作が、はるばるドイツからやっと届いた。

 いや別に「今度もどれだけひどいか見てやろう」などと考えて仕入れたわけじゃない。両盤ともほぼ同時に別ルートで発注していたため、届くのにタイムラグができただけだ。たまたま前者が早く着いたのである。

 前者はドラマーのビリー・ハートが不安定で走ったりもたったりを繰り返し、とても聴く気になれなかった。だが一方の本作も、前者の盤からテナーのデイヴ・リーブマンが抜けただけ。あとはまったく同じメンバーなので恐れていたが、結論からいえば前者よりはマシだった。

 いや正確にいうなら、Pirouet盤ならではの異常な録音レベルの低さのおかげで、幸いにもドラムが「よく聴こえない」のが理由のひとつ。もうひとつは参加メンバーが5人から4人に減り、1人1人がプレイする空間が広がったためだ。

 前者の盤はまさに「満員電車状態」だった。サックス、ギター、ピアノの3者がたがいにスペースを殺し合い、ただでさえ音が未整理なところにドラマーが不安定で聴きづらかった。

 だってサックスがソロを取ってる最中に、ギターが単弦弾きでフレーズをサックスソロに絡めながら差し挟み、その上にピアノがコードを弾いたりしているのだ。そんな混雑ぶりに加え、ドラマーが突っ込んだりもたったり、果ては「ドシャッ」と崩れたリズムで致命的なおかずを入れたりするもんだから「助けてくれ」といいたくなった。

 だが本作はソリストの人数がピアノとギターの2人に減ったぶん、ピアノがソロを取ったら一方のギターはバッキング(または全く弾かない)、あるいはギターがソロを取ったら今度はその逆、というふうに役割分担が明確になり、音がかなり整理された。実際、このアルバムではコープランドがソロを取ると、アバクロはコードすら入れずそもそもギターを弾かないようにしている。

 加えてサックスがいないぶんスペースができ、コープランドならではの余韻を生かしたプレイが聴けるようになったのも大きい。ただしあくまであっちの盤よりマシになったという話であり、ドラムの不安定さは相変わらずだが。

 さて聴きやすくなった理由をまとめよう。まず異常な音圧の低さでドラムの音が物理的に「聴こえにくい」のが逆に幸いしたことがひとつ。第二にソリストの人数が減り、役割分担がはっきりしたこと。第三にプレーヤーが減ったぶんスペースができ、リスナーに音の余韻を聴く空間的な余裕ができたのも大きい。第四は同じ理由で、コープランドならではの余韻と間(ま)を生かしたプレイスタイルを使いやすくなったことだ。

 コープランドがソロを取るとき、アバクロがギターを弾くのを全くやめれば、実質ピアノトリオなのだから当然である。

 その埋め合わせ(笑)かどうかは知らないが、コープランドのリーダー作だというのに妙にアバクロがソロを弾く機会がふんだんに用意されており、その意味では主役のバッキングを聴かされるコープランド・ファンとしては「不満だ」という、別の新たな問題が発生しているかもしれないが。(まあこれは好みの問題だから音楽的にはどうでもいい話だ)

 最後になったが、本作もあっちの「問題作」同様、参加メンバーが曲を持ち寄っている。コープランドが2曲、アバクロが3曲、ベースのドリュー・グレスが1曲、C.Porter 「Everything I Love」 の合計7曲だ。

 総評としては、ちょっとECMっぽいきれい系の音が好きならまあいいかも? アバクロのファンなら買うのは自由(笑)、コープランド・ファンだったら自主投票だろう。どう考えてもあのContact 「 Five on One 」より聴きやすいし、苦痛は少ない。

 え? お前自身の個人的な採点はどうかって? いや今後、ビリー・ハートの参加作は絶対買わないことだけは確実です、はい。

テーマ : JAZZ
ジャンル : 音楽

Johnathan Blake / The Eleventh Hour

jb_t

Johnathan Blake (ds)
Jaleel Shaw (as, except 3,4,8,10)
Mark Turner (ts, except 5)
Kevin Hays (p, rhodes, except 1,5,6,10)
Ben Street (b)

Tom Harrell (tp, Flh on 3,5)
Gregoire Maret (Harmonica on 1,10)
Robert Glasper (p, rhodes on 1,5,10)
Tim Warfield (ts on 8)

Rec. April 2010, at Systems Two Recording Studios, NY
Engineer: Mike Marciano (Sunnyside SSC1304)

豪腕ドラマーが放つゴキゲンな快作

 ミンガス・ビッグ・バンドほか多くの参加作があるNYの若手ドラマー、ジョナサン・ブレイクが先月末にリリースしたばかりの初リーダー作だ。ダークなテーマをビシッと決めたゴキゲンな楽曲が多く、マーク・ターナー (ts) の全面参加も当たっている。一聴して「いい!」と感じさせるキャッチーなコンポジションが上手い。

 参加メンバーはターナーのほか、フロント陣にジャリール・ショウ (as)、2曲にトム・ハレル (tp) も配した豪華な布陣が目を引く。鍵盤はケヴィン・ヘイズをメインに、ロバート・グラスパーも3曲参加している。主役のブレイクとコンビを組むベーシストは、売れっ子のベン・ストリートだ。

 ブレイクのオリジナルが7曲、トム・ハレルとロバート・グラスパー作品が1曲づつ、その他1曲の合計10曲。4ビートはもちろん16っぽいR&B的な要素も盛り込むなど、ブラックミュージックをルーツにしながらラテン調のノリの曲もありバラエティに富む。ただし「いろんなことをやりました」的な散漫な感じは全くない。アルバムを通しどの曲にも特有のダークなトーンが漂っており、全体にしっかり統一感がある。

力押しするだけでなく引くこともできる

 ジョナサン・ブレイクのプレイを初めて聴いたのは、ジャリール・ショウの初リーダー作「Perspective」 (2005年、レヴュー記事はこちら)だった。そのときは「(個性的ではあるが)力みすぎ、バタバタしていて好みじゃない」と感じた。

 しかしそれは杞憂にすぎなかった。その後、同じく彼の参加作であるアレックス・シピアギンの 「Mirrors」 (2002)、ジャリール・ショウ 「Optimism」 (2008年、レヴュー記事はこちら) を聴き、印象がガラリと変わった。そして、その大幅な上方修正は本作で決定的になった。文句のつけようがないすばらしいプレイだ。

 彼はラルフ・ピーターソン~ジェフ・ワッツ系列のストロングタイプなドラマーだが、力押しするだけでなく引くこともできる。いやむしろピーターソンやワッツとくらべ、より繊細方向でデリケートな細かいプレイもできる。もちろん逆にパンチの効いた楽曲では、持ち前の爆発力がドカンと炸裂し実に爽快である。

 一方、本作は共演陣の活躍も見逃せない。ガッツのあるショウのアルトと、対照的に飄々としたプレイをするマーク・ターナー節を聴けるのが楽しい。2曲参加しているグレゴア・マレのハーモニカもいい雰囲気を出している。

 またアコピとローズを操るケヴィン・ヘイズも、ガツンと一発かましたプレイをしている(特にM-2)。清廉でリリカルな自身のリーダー作とちがい、アグレッシヴなプレイもできる力強さを見せつけた。この種の気合いを感じさせるヘイズを聴くのは、クリス・ポッターのライブ盤 「Lift」 (2004)以来のような気がする。

 楽曲はだいたい5~6分以上、なかには8分の長尺も2曲あるが、どの曲もすんなり聴けて「えっ、もう終わりなの?」てな感がある。沈思黙考しないとよさがわからない捻った作風でなく、ストレートで聴き手を飽きさせない。なかでも聴き物はターナーとショウの激しい掛け合いがあるM-9のほか、M-2、M-5、M-6あたり。理屈ぬきで楽しめる1枚だ。

(追記) 2012.3/14付

 アルバムタイトルの「The Eleventh Hour」とは、「瀬戸際」、「ぎりぎり」、「最後の瞬間」みたいな意味だ。今回のブレイクのデビュー作は、2010年4月にすでに録音が終わっていた。だがその音源をアルバム化する制作費用がなく、資金調達互助サイト「IndieGoGo」でカンパを呼びかけ、やっとお金を集めてリリースされたといういわくつきだ。アルバムタイトルの「瀬戸際で」というのは、それを意味しているのかもしれない。(このへんの裏事情についてはブログ「灼熱怒風 シーズン2」さんの記事が詳しい)

 しかしもしそうだとすれば、CDのアルバムジャケットに時計の写真まで使い、「いやぁ、今回はギリギリだったぜ!」とピンチの状況をユーモアで笑い飛ばすのだからブレイクは太っ腹だ。(彼の腹は実際にでかい)

テーマ : JAZZ
ジャンル : 音楽

待ち遠しいあの新譜 / モレノ、コープランド、メルドーほか

 この新カテゴリーでは、「楽しみな新譜だが、まだ発売されておらずもどかしい」的なニューアルバムを随時取り上げ、期待を熱く語ります。

 みなさんもお目当ての新譜があれば、「このアルバムではギタリストの○○にこう期待してるんだ!」みたいな抱負やらコアな新譜情報をぜひコメント欄にお寄せください。みんなで情報交換しましょう。

【Joe Sanders / Introducing Joe Sanders】

 さて目下、非常にきわどい位置にあるのが、Criss Crossから2月21日に発売されたばかりのこやつであります。はい、ジョー・サンダースのファースト・リーダー作「Introducing Joe Sanders」です。

js_i

Joe Sanders (b)
Luis Perdomo (p)
Will Vinson (as)
Rodney Green (ds)
Gretchen Parlato (vo)

 本作はおそらく流通の状況から、アマゾンでは「一時的に在庫切れ; 入荷時期は未定です」表示が出ています。一方、私がすでに発注しているHMVでは「通常ご注文後 6-9 日以内に入荷予定」となっていますが、こんなものはアテになりません。かたやVENTO AZULでは「3月20日入荷予定。ご予約承り中です」とのことです。

 こうした状況から本盤はすでに発売されているにもかかわらず、日本ではまだ誰も入手してないのではないかと思われます。いや、ひょっとしたらブログ「Jazz&Drummer」主筆のnaryさんあたりがすでに密かにゲットされている可能性もなきにしもあらずですが、詳細は不明です。

 ちなみにジョー・サンダースは、天才ピアニスト、ジェラルド・クレイトンのレギュラートリオの一角を務めるベーシストです。若手の中では当ブログいち押しの使い手であり、我が家の所蔵盤で彼のプレイが聴けるのはクレイトンのデビュー作「Two-Shade」(2009)、セカンドアルバム「Bond:The Paris Sessions」(2011)、ウォルター・スミスⅢ「Ⅲ」(2010)あたりです。

 また本作は、サイド参加のウィル・ヴィンソンも見逃せません。彼の最近の参加作としてはジョナサン・クライスバーグの「Shadowless」(2011)、アリ・ホーニグの「Live at Smalls」(2010)などがあります。ですが、どちらもウィル・ヴィンソンの暗くてクールな抑制キャラとは似ても似つかないネアカ作品です。必然的に彼は持ち味を発揮しているとは言えません。だってウィル・ヴィンソンに「熱く躍動的にプレイしろ」などというのは、人間にエラ呼吸しろというようなもんですから。

 ところがジョー・サンダースの本盤をネット試聴した限りでは、楽曲が非常に彼にマッチしています。かなり期待できそうです。それにしてもまさかジョー・サンダースとウィル・ヴィンソンが、いっしょにプレイするなんて想像もしませんでした。

 だってジョーは前述の2分法でいえば、明らかにクライスバーグやホーニグみたいな「明るく躍動的でネアカ」なキャラだからです。ところがそのジョーの書いた楽曲が、暗くてクールなウィル・ヴィンソンにぴったり合っているのですからおもしろいものです。これもひとえにいろんな若手にチャンスを与えるCriss Crossマジックといえるでしょうか。

 ヴォーカルで1曲のみ参加のGretchen Parlatoも、試聴した限りでは相当いい雰囲気の女性ヴォーカルです。いまから聴くのがとても楽しみなアルバムであります。まだクルックーしてない方はお早めにどうぞ。

【Mike Moreno / Another Way】

mm_a

Mike Moreno (el-g, ac-g)
Aaron Parks (p)
Warren Wolf (vib)
Mat Brewer (b)
Ted Poor (ds)

Chris Dingman (vib)
Jochen Rueckert (ds)
(3月発売)

 このマイク・モレノの新作は、アルバムの制作費用をキックスターターでカンパなさったブログ「灼熱怒風 シーズン2」編集長、HamaVenturiniさんが投資者特権(笑)で先行入手され、早くもその興奮を自ブログで熱く語っておられます。

 HamaVenturiniさん情報では一般向けの発売は今年3月になる模様ですが、実は欲しい人はマイク・モレノのウェブサイト経由ですでに買えるようです。あとYouTubeにもバンバン曲が上がっています。試聴しましたが、デビュー作「Between The Lines」に近い感じでかなりいいです。

 本作は、これまた当ブログいち押しベーシストであるマット・ブリューワーのほか、アーロン・パークス(p)やウォーレン・ウルフ(vib)、ヨッケン・リュッカート(ds)まで参加するという大盤振る舞い。新譜買いジャズファンにとっては、まさに必買のマストアイテムといえるでしょう。

【Marc Copland Trio / Some More Love Songs】

mc_s

Marc Copland(p)
Drew Gress(b)
Jochen Rueckert(ds)
(3月31日発売)

 こちらはブログ「中年音楽狂日記」主幹、Toshiyaさんからのタレコミで明らかになった大魚です。なんとマーク・コープランドがあの名盤「Some Love Songs」(2005)の二匹目のどじょうを狙い、あ、いや、「コンセプトを継承」し、必勝の体勢で臨む新作です。

 リズム隊はもちろんドリュー・グレスとヨッケン・リュッカートですから、ハズすわけがないでしょう。現に当方所有の同コンビ参加作はハズレが1枚もありません。本作もモレノ盤同様、新譜買い野郎ども必買のマストアイテムでしょう。

【Brad Mehldau Trio / Ode】

bm_o

Brad Mehldau (p)
Larry Grenadier (b)
Jeff Ballard (ds)
(3月13日発売)

 ご説明するまでもない先生の新作です。感慨深いです。思えば70~80年代前半のフュージョンブームにすっかり飽き、ジャズを聴かなくなった私を出戻らせたのが先生との出会いでした。

 行きつけのジャズ喫茶で初めて先生の演奏を聴き、例によって雷に打たれたようなショックを受けてよろよろと立ち上がるや店の奥にいたアルバイトの女性に向かい、「今、かかってるピアノ弾いてるのは誰ですか? キース・ジャレットですか?」とまあ、こっぱずかしい問答をやらかしたのが現在のこの尋常ならざる新譜買い漁り行動の始まりでした。ここから先生とジョン・スコのアルバムを手当たり次第に買い始め、それが90年代にジャズへ出戻るきっかけになりました。

 くだんの女性アルバイト店員さんに「The Art Of The Trio Vol.1」をクリスマスプレゼントし、強引に口説こうとしたのも懐かしい思い出です。見事にふられ、贈った「The Art Of The Trio Vol.1」は密かにその店の所蔵アルバムと化したのは店のマスターには内緒です。おや、新譜紹介コーナーのはずが、いつのまにか「私の上を通り過ぎて行った女たち」企画に変わっていますが世の中そんなもんです。

 以上、このコーナーは予想以上に手間がかかり、もう疲れたのでこのへんで第一弾を終わります。なお本企画は随時投入する予定ですから、御用とお急ぎでない方はぜひコメント欄への新譜タレコミ、よろしくお願い致します。ぜんぜんあてにせず待っております。

テーマ : JAZZ
ジャンル : 音楽

Contact / Five on One

c_f

David Liebman (ts,ss)
John Abercrombie (g)
Marc Copland (p)
Drew Gress (b)
Billy Hart (ds)

Rec. January 6-7, 2010, at Bennett Studios, NJ
Engineer: Jason Seizer (Pirouet Records PIT3048)

ドラマーが不安定な企画倒れの迷作

 この豪華なメンツに騙されてはいけない。よほどお金が余っているか、「コープランドの参加作ならすべて持っていたい」というのでもない限り、個人的にはこのCDに手を出すのは慎重を期すことをおすすめする。楽曲はいいのにビリー・ハートのドラミングがすべてをブチ壊しにしており、リズムが不安定で気持ち悪くて聴いていられないからだ。

 前々回のレヴューで、マーク・コープランドの名盤「Haunted Heart」についてこう書いた。

「サポートするドリュー・グレス (b) 、ヨッケン・リュッカート (ds) の場の作り方もすばらしい。(中略) 平凡なプレイヤーなら、こんな独特のタイム感をもつピアノに合わせ、楽曲として成立する形にして演奏するのはむずかしい」

 ベーシストはどちらも同じドリュー・グレスだ。すなわちヨッケン・リュッカートは非凡だったが、ビリー・ハートはほにゃららだった、てな話である。

コープランドは空間を与えられてこそ生きるタイプだ

 本作は「Contact」名義で、参加メンバーが楽曲をそれぞれ持ち寄っている。コープランドが1曲、ジョン・アバークロンビーが3曲、デイヴ・リーブマン1曲、グレス2曲、ハート1曲、それにスタンダード1曲の合計9曲だ。

 M-1の冒頭、いきなりスネアのおかずが「ドシャッ」と崩れたリズムで入る。ここでまず「おおっ?」と仰け反らされる。とはいえハート以外のメンバーはまあ悪くない。ただいかんせん、人数が多すぎる。サックスとギター、ピアノの3者が互いにスペースを殺し合い、特にアバクロが窮屈そうに弾いている。なんだか聴いてて彼がかわいそうになってきた。

 一方のコープランドにしても、空間を与えられてこそ生きるプレイヤーである。ベストはソロ~ピアノトリオか、せいぜいカルテットまでだ。本作のメンバー構成では持ち味を発揮しにくいだろう。しかもドラマーが突っ込んだりモタったりを繰り返すのだから、結果は推して知るべしだ。

 実際、本作の彼は以前レヴューしたJason Seizerの「Serendipity」や、前述の名作「Haunted Heart」、またNew York Trio Recordingsシリーズのすばらしさとはほど遠い。いや悪くはないが、コープランドはこんなもんじゃないだろう。

 かたやリーブマンはこの満員電車を苦にせずうまくやっているが、アバクロとコープランドは企画に殺された感じがする。

 Pirouet盤の音圧が異常に低いのは、たぶんECMみたいな清楚なテイストを狙ってのことなのだろう。それでもこの低すぎる音圧には不満だが、まあボリュームを上げれば済む。しかしメンバー構成を含めた企画段階でコケているのでは、リスナーとしてはいかんともしがたい。(Pirouetは統一感のあるジャケ・デザインが美しいし内容もいい盤が多いから、今回はたまたまハズレだったのだろうが)
 
 さらに憂鬱なのは、コープランドの「Another Place」という似たようなメンツのアルバムを海の向こうへすでに発注済みなことだ。ちなみにメンバーは以下の通り。

 Marc Copland(p)
 John Abrcrombie(g)
 Drew Gress(b)
 Billy Hart(ds)


 ビリー・ハートがいるなぁ。

 頭痛い……。


(追記) 2012.3/15付

 問題のコープランド「Another Place」がドイツから今日、届いた。レヴュー記事はこちら。意外な結果が出たが、読んでのお楽しみだ。

テーマ : JAZZ
ジャンル : 音楽

プロフィール

松岡美樹

Author:松岡美樹
予定調和じゃない最近のJAZZが好物です。

最新記事
カテゴリ
ブログ内検索
全記事一覧・表示リンク

全ての記事を表示する

月別アーカイブ
最新コメント
最新トラックバック
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

リンク
RSSリンクの表示
QRコード
QR