Emmanuel Vaughan-Lee / Borrowed Time

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Mark Turner (ts)
Dayna Stephens (ts on 5)
Erik Jekabson (tp, flh on 1,3,7,9)
Albert Sanz (p, el-p)
Emmanuel Vaughan-Lee (b)
Ferenc Nemeth (ds)

Rec. May 26 & 28, 2004, at Bay Records, CA
Engineer: Justin Morell (FSNT 209)

現代的な「先っぽ感」と美メロが絶妙にバランスした秀作

 こんなお宝が埋もれているからFSNTは侮れない。アメリカ人若手ベーシストのエマニュエル・ヴォーン・リーが公式デビューした隠れ名品だ。この人はけっこうなメロディ・メイカーで耳に留まるテーマがそこかしこに。捨て曲はただの1曲もなし。ミディアム・テンポの気だるい佳曲がずらり並んでいる。

 渋い作風なのでパッと聴きでは通り過ぎてしまいそうになるが、聴いてるうちにあちこちに潜む絶妙の仕掛け(アレンジ)に気づきハマって行く。何度聴いても飽きないどころか、加速度的にスルメ度が進行する秀作である。

 メンバー的には、マーク・ターナー (ts) とアルバート・サンス (p) のおいしいところがたっぷり出ている。もう煮汁うまうま、みたいな感じだ。ターナーは浮遊感たっぷりに脱力してゆらゆら漂う。かたやサンスは、モノクロームな美的フレージングが自己ベストに近いレベルで仕上がっている。

 オリジナル5曲にメンバーが3曲を持ち寄った。ほかにスティングの名曲 「La Belle Dame Sans Regrets」 も含む計10曲だ。まず冒頭を飾るM-1は、ひときわ現代的なトンガリ感を放つ。7拍子でアップテンポに叩くフェレンク・ネメスのドラムスだけがぽっかり浮いたように聴こえる不思議な世界が広がる。

 かと思えば次曲以降はがらりとムードが一転し、穏やかな美メロの嵐が押し寄せる。ただし手垢のついたベタな美しさでなく、どこかクールに突き放したような都会的で醒めた衣装をまとっているのがミソだ。

 ピアノのきれいなイントロで始まる楚々としたバラードのM-2は、次に入ってくるテナーのフレーズとたおやかなタイム感がなんともいえない。M-4は妖しくダークに泳ぐマーク・ターナーの魅力が満点。続くサンズのピアノ・ソロも行きそうで行かない焦らし方がたまらない。

 一方、不安を煽るM-5のイントロは巧妙に絡まる2本のテナーとピアノ、ドラムスの噛み合わせが緻密にアレンジされている。空間を生かした音数の少ないピアノ・ソロも秀逸だ。中盤のM-6では、本作を象徴するかのような翳りと愁いに満ちたスティング作の壮麗なバラードに圧倒される。ピアノ・トリオによるシンプルな構成もすばらしい。

 全体にうまいアレンジが光るが、かといって個々人のイマジネーションやインプロ度も決して低くない。相反するふたつのエッセンスがきわどくバランスした良盤だ。
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テーマ : JAZZ
ジャンル : 音楽

Jeremy Udden / Torchsongs

1

Jeremy Udden (ss, as)
Nathan Blehar (ts)
Ben Monder (g)
Tim Miller (g)
Leo Genovese (el-p)
John Lockwood (b)
Garth Stevenson (b)
Matt Wilson (ds)
Ziv Ravitz (ds)

Rec. December 7-8, 2003, and Aplil 15, 2005, at pbs studios, ma
Engineer: peter kontrimas (FSNT 253)

ベン・モンダー参加、ミクスチャーする曲者ユーディーンのFSNT発デビュー盤

 フォーキー&カントリーっぽい要素がミクスチャーされて行った以後の作品にくらべ、ジャズ聴きにはこのFSNTからのデビュー盤がいちばん心地いいかも? とはいえロックっぽいM-4やM-6、またフリー的なM-5あたりを聴くと、やっぱりジェレミー・ユーディーンは初期からいろんなものを混ぜるのが好きな人だったんだな、とわかる。

 M-5とM-6以外はすべてオリジナル、全体に耳に残るメロディが多く、秀曲がふんだんに詰め込まれている。M-1やM-6のようにパッと聴いて 「いい!」 と感じるメロディアスな曲が目立つが、しかしキャッチーというのとはちょっとちがう。キャッチー→覚えやすい→単純→すぐ聴き飽きる、みたいな図式とはまったく別の回路で楽曲が構成されている。なかなか優れたコンポーザーである。

 彼のサックス・プレイはあえてカテゴライズすればトリスターノ系のリー・コニッツ風味だ。エネルギッシュに躍動せず、気張らずクールに抜いて吹く。マーク・ターナーやクリス・チークがブレイクした90年代後半~2000年代以降、NY界隈ではすっかりこっち系のサックス奏者がよく目につく。

 といいながらM-8のとぼけたフレーズとリズムはどこかで聴いたことがあるぞ? と思って取り出したのはジョー・ロヴァーノの 「From the Soul」 (1992) だった。ターナーやチーク以前のこっち系の人といえばロヴァーノなのでやっぱり接点あるんだなぁ。

 ちなみにこのロヴァーノ盤のドラマーはオーネット・コールマンやエリック・ドルフィーらと共演歴があるエド・ブラックウェルで、本作のドラマーともスタイルが近い。なるほどユーディーンのルーツの一端が見えた感じだ。

テーマ : JAZZ
ジャンル : 音楽

Mike Baggetta Quartet / Small Spaces

1

Mike Baggetta (g)
Jason Rigby (ts)
Eivind Opsvik (b)
RJ Miller (ds)

Rec. April 14, 2008, at Accoustic Recording, NY
Engineer: Michael Brorby (FSNT 339)

セルフプロデュースの功と罪

 現代NYジャズの 「ある一面」 を切り取って見せたような音である。ニューヨークを拠点に活動するギタリスト、マイク・バジェッタのサード・アルバムだ。1曲を除きすべてオリジナル、かつセルフプロデュース。彼としてはFSNTレーベルからのデビュー作に当たる。

 本作は 「ガメラ対ギャオス」 の劇中曲みたいなオドロオドロしいM-1さえなかったら、アルバムの印象がガラリと変わっていただろう。なぜならM-2以降は、ふつうにデキのいいコンテンポラリー・ジャズだからだ。

 とすれば取っ付きにくい悪趣味なM-1をボツにし、キャッチーで美しいメロディのM-7あたりを1曲目にもってくれば、それなりに売れる作品になっていただろう。だが本人がやりたい音楽はまさにそのM-1なんだろうから、仕方がないといえば仕方ない。

 さて、ここでふたつの論点が浮かび上がる。どちらも音楽 (というか芸術) の世界ではおなじみの永遠のテーマである。

 ひとつはレーベル・サイドの問題だ。M-1をボツにすれば売れる可能性は高くなる。ならばなぜ彼らは楽曲構成に介入し、そうさせないのか? というポイントが一点目。ここでは本作がセルフプロデュースであることの功罪が浮かび上がる。

 そしてもうひとつはプレイヤー本人のスタンスの問題だ。M-1をボツにし、M-7的な方向性で行けばそれなりのセールスを上げて音楽家としてのし上がれるかもしれない。なのに、なぜ彼はそうしないのか? というお題である。

 まず前者のレーベルの問題については、新人を発掘するレーベルであるFSNTの性質上、ミュージシャン自身が目指す方向性をねじ曲げるような介入をする、というのは会社の方針としてありえないのかもしれない。もしそれをやると、新しい音楽を掘り起こすというこのレーベル自身の存在意義がなくなってしまう。とすればやりたいことができる同レーベルは、ミュージシャンにとっては本望この上ない。

 だが同時にその種の介入をしなかったために、当然、レーベル側としてはビジネス的な成功を得られない (CDが売れず収益を上げられない) というリスクを抱える。

 また介入しなかったせいで、そのミュージシャンは食えない無名の存在として皿洗いかなんかしながら業界に居続けるか、はたまた音楽をやめて田舎に帰るかせざるをえなくなる可能性が高まる、という点においては、レーベルが作品を 「校閲する編集者的」 な介入をしないのは幸か不幸かわからなくなる。

 では一方、後者についてはどうか? こっちは本人の自己決定の問題である。

「俺はこういう音楽がやりたいんだ」 と、このM-1をまさに最も目立つM-1の位置に配置し、そのことによって自分は売れることなくアルバイトしながら四畳半ひと間風呂なしのアパートに住み続けるのが俺の生き方なんだ、ということであればもちろんそれはそれでありえる話だ。

 なぜならそうすることでほかならぬM-1が仮にヒットすれば、本人にとっては自分がいちばんやりたいことをやりながら何不自由なく食える状態になる、という芸術家にとっての理想を実現できる可能性が生まれるから。だがこの場合、自己責任として、一生、皿洗いを続けることになるリスクも当然発生する。

 一方、逆に自分のやりたいM-1を自分の手でボツにし、売れそうなM-7を自分の手でアルバム冒頭にもってくる、という自主規制も無論ありえる。この選択をした場合、「俺は本当はM-1をやりたかったのに」 という内なる自己矛盾に煩悶しながら、だがしかしウマウマと売れセンに乗っかり金と名声を手に入れて贅沢三昧の人生を送ることができるかもしれない。すなわち彼は志より、金銭的な成功を取ったわけだ。

 はてさて、ではレーベル側は果たしてミュージシャンに介入するのが正解なのか? またミュージシャン本人は、自分の手でM-1をボツにするのが生き方として正しいのか?

 あなたならどう思いますか?

テーマ : JAZZ
ジャンル : 音楽

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松岡美樹

Author:松岡美樹
予定調和じゃない最近のJAZZが好物です。

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