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Gilad Hekselman / This Just In

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Gilad Hekselman (g, synths & Glockenspiel)
Joe Martin (b)
Marcus Gilmore (ds)
Mark Turner (ts on M-3, 9, 13)

Rec. December 2011-January 2012, NY
Engineer: Michael Perez-Cisneros (Jazz Village JV570013)

M・ギルモアとJ・マーチンのリズム隊が究めた臨界点

 前々回で取り上げたスティーヴ・スワロウの世紀の絶品と同時に買ったため、相対的にかすんでしまったギラッド・ヘクセルマンの最新作だ。アルバムとしてはまずまずだが、ギタープレイにハマれない。このメンバーじゃ悪くなりようがないと思うが、つくづく私はヘクセルマンと縁がないらしい。

 まずアルバム最大の聴き物であるマーカス・ギルモア(ds)とジョー・マーチン(b)のリズム隊については、ヘクセルマン作品ではコンビを組んで3作目になる。彼らは本作でそのコンビネーションが究極にまで高まり、ひとつの完成形を見たといっていいだろう。2013年現在で最強クラスのリズムセクションだ。

 ジョー・マーチンは「何でもできる器用な便利屋」みたいなイメージをもっていたが、一連の作品群でギルモアとのからみを聴き、とんでもなく彼をナメていたなと反省した。ジャストビートからのはずし方、揺らぎ方がたまらない。ややもすると似たパターンになりがちではあるが、それも芸のうちだろう。

 かたやギルモアのすごさはわかっていたが、本作ではそれを再確認できた。とにかく重心が低く地を這うようなグルーヴがすさまじい。ライヴ映像で見ると1打1打のアタック音は案外軽かったりするのだが、その1打あたりに付帯するグリグリ生きたダイナミズムと瞬発力、ムチのようにしなるノリがハンパない。

 またアクセント(強弱)のつけ方が非常にうまく、起伏と陰影に富んだ表情豊かなプレイをする。M-1の地鳴りが増幅して行くようなドラミングや、M-3の細かく刻むタイム感、M-9のめくるめくドラムソロにはぶっ飛んだ。

楽曲の半分はいいが捨て曲も多い

 一方、収録されている楽曲については、半数はなかなかいい。ギターのリフが耳に残るM-1や、大胆で挑戦的なギターを聴かせるM-3、冒頭の謎めくフレーズが魅惑的なM-5、テーマにインパクトがあるM-7、テナーとギターの掛け合いがスリリングなM-9が印象に残った。またM-10はメロディが秀逸でベースとドラムのノリにも圧倒されるし、M-12はアコギが美しい文句なしの佳曲である。

 だが残念ながら、残り半分の楽曲には疑問が残る。M-2とM-4、M-6、M-8、M-11は「NEWSFLASH」という同じタイトルに「♯+数字」をつけただけ。どうでもいい数合わせみたいな短い曲だ。よく言えば「曲間にインタールードを挿入しました」みたいなパターンである。

 こういうのって、そりゃ作った本人は「いや、これには連作としての○○な意味があるんだよ」などと言い張るかもしれない。だがお客さんの側から見れば面白くもなんともない。自分だけが気持いい、一種のマスターベーションである。まだ若いのに直球で勝負せず、こういうギミック(特殊効果)に頼るのってどうなんだろう。

 またM-3と対になってる最終曲のM-13はアルバムを締めました、というだけの捨て曲だ。退屈この上ない。結局、本作はこれら6曲のどうでもいい楽曲で水増しされている。つまりこのアルバムは、実際には7曲しか収録されていない。すごい上げ底だ。そもそもM-1の出だしから、セカンド作のオープニングとクリソツだし「早くもネタ切れかい」みたいな感じもする。

肝心のギタープレイはひ弱でか細い

 さてヘクセルマンのギタープレイについては相変わらずだ。すごくうまいが、ひ弱で線が細く個性に乏しい。まず音色が甘すぎて好みじゃないし、全体として聴く者を圧倒するようなインパクトに欠ける。ギターで奏でる各曲のテーマは美しく秀逸だが、アドリブに入ると途端にあいまいになって求心力を失う。では曲ごとに細かく見て行こう。

 まずM-10とM-12のソロは掛け値なくすばらしい。M-5もまずまずだ。だがM-1やM-7のソロの導入部は可能性を感じさせる美メロではあるものの、小節が進むにつれ何を弾いているのかわからなくなる。M-3のソロも滑り出しはガッツのある粘りを見せるが、時間がたつと失速し、次第にフレットの上を指が速く上がったり下がったりするだけになる。

 あらかじめ練りに練ったテーマ部がいいのは当たり前だ。問題はアドリブ・パートである。そこのキャラが立ってないからフレーズが耳に残らず、心に刺さらない。リズムもさらさらと淡白に流れがちで、粘っこく腰を踏ん張るようなところがない。ゆえに1曲聴き終わり、「いまどんなギターを弾いてたっけ?」と思案しても何も浮かんでこない。前々回の記事で紹介した「味」の固まりのようなスティーヴ・カーディナスのギターとは好対照だ。

 試しにジェシ・ヴァン・ルーラーやマイク・モレノとギターソロの構成を意識して聴きくらべてみたが、表情の豊かさがまるでちがう。彼らの場合は「3曲目の××の箇所では○○なソロを弾いていた」とフレーズがはっきり思い浮かぶ。だがヘクセルマンのソロは、金太郎飴みたいにどこを切っても金太郎で印象がうすい。

考えすぎて頭でっかちになってないか?

 はて? どのアルバムでもこうだっただろうか? 念のため彼のセカンド・アルバム「Words Unspoken」を引っ張り出し、ひさしぶりに聴いてみた。すると驚いたことにソロに関しては本作よりこの旧作の方がいい。フレーズが印象的だし、顔の見えるギターを弾いている。ひょっとしたら最近の彼はちょっと考えすぎ、頭でっかちになっているのかもしれない。

 現に本作ではシンセやインタールードを入れる小細工をしたり、得意分野と違う演奏をしてみたり。あのテこのテで作品を飾り立て、実際より自分を大きく見せている。これを外側から見れば「考えすぎ」、「真っ向勝負していない」とも映る。

 例えばヘクセルマンは「激しさ」とか「ノリのよさ」より、繊細さや透明感でしっとり静かに勝負するタイプだ。だがそういう自分の持ち味とあえて正反対のことにチャレンジしたM-3はどうか? ギターがアバンギャルドに暴れまくるM-3はいかにも無理やり感が漂い(彼がやるとうるさいだけ)、もっとこの曲が似合うワイルドな野郎なら破壊的な演奏になるんだろうなぁ、などと考えてしまう。

 思えばヘクセルマンの初リーダー・ライヴ「Split Life」と1stスタジオ盤「Words Unspoken」は(悪くはなかったが)すぐ聴き飽きたし、3作目の「Hearts Wide Open」は試聴しただけで「だめだこりゃ」と買うのをやめた。まあ相性が悪いのだろう。

 本作ではもっとマーク・ターナーが聴きたかったのだが、3曲しか吹いてないのが残念だ。YouTubeの映像ではターナーがいい感じで吹いていたのでずいぶん期待したが、CDバージョンでは残念ながらギタリストがメインを張っている(って主役なんだから当然か)。

 そもそも私はイスラエルのミュージシャンが肌に合わないのかもしれない。考えてみればアヴィシャイ・コーエン(b)にしろ、エリ・デジブリにしろ、ちっともいいと感じたことがない。人間の血と音楽の関係って、けっこう深いのかも?

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テーマ : JAZZ
ジャンル : 音楽

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松岡美樹

Author:松岡美樹
予定調和じゃない最近のJAZZが好物です。

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