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天才に賞味期限はあるか? -ブラッド・メルドーの軌跡

天才が囚われがちなある強迫観念とは

 人間はまったく同じ環境下で一定の緊張感を持続し、高度な作業を続けるのが心理的にむずかしい。とりわけ気まぐれな芸術家気質の人にそれは顕著だ。

 また天才的なクリエーターには、「今まで自分がやってない新しいことをやらねば」、あるいは「まだ人類の誰もがやっていないことを自分がやらなければならない」、「そうでなければ自分は生まれてきた意味がない」という、天才型の人物特有の強い強迫観念がある。

 作っては壊し、作っては壊し、を繰り返したマイルス・デイヴィスなどはその典型だろう。そして古今東西、音楽に限らず、この観念に囚われて自爆したクリエイターは数多い。無理に目先を変えようとして失敗するのだ。

 90年代に新しいジャズの地平を切り開いた3人の天才にも、この法則は見事にあてはまる。彼らはよくも悪くもピュアであり、「次は何か(天才らしく)新しいことをやらなければ」と考えてしまうのだ。

 そんな観念に囚われたジョシュア・レッドマンは、「Compass」 (2009) でダブルベース、ダブルドラムスという曲芸を実行に移し、あえなく自爆した。

 またアルバム「Our Secret World」 (2010) で若くしてセルフカヴァーなんぞをし、「もうネタ切れです。終わりました」と自ら宣言したカート・ローゼンウィンケルもそうだ。彼の場合は「ビッグバンドと共演する」という目先の変え方をし、強迫観念から逃れようとした。

 そして本題であるブラッド・メルドーは「Highway Rider」 (2010) で、室内管弦楽団をバックに演奏する、という目先の変え方をした。ブラッド・メルドー・トリオ新作 「Ode」 のレヴュー記事 (別頁あり) で、「『Highway Rider』を聴き、メルドーは終わったと思った」と書いたが、それはレッドマンやローゼンウィンケルの例と同様、あの「Highway Rider」が天才型の人物特有の強迫観念の具現化だと強く感じたからだ。

同時期に活躍し自爆した3人の天才

 さて、では彼ら3人がトップフォームで活躍した期間はそれぞれどうか? レッドマンはデビュー作 「Joshua Redman」 (1993) から、「Compass」 (2009)までは16年。だが実質的には、目先を変えようとした一度目のあがきである「Elastic」 (2002) の時点でもう終わっていたのだろうから、とすればちょうど約10年になる。(James Farmは全くいいと思わない)

 一方、ローゼンウィンケルはデビュー作「East Coast Love Affair」 (1996) から「Our Secret World」 (2010) までは14年と、レッドマンの16年とほぼ同じだ。ただし彼は初期にはふつうの曲をふつうに演奏していた。彼が本格的に革新性を発揮したのは「The Enemies of Energy」 (2000)から。もしくは完成度でいえば、次の「The Next Step」 (2000) から、としていいだろう。とすればレッドマン同様、「Our Secret World」 (2010) まではちょうど10年になる。

 ではメルドーはどうか? デビュー作「Introducing Brad Mehldau」 (1995) から「Highway Rider」 (2010) までは、他の2人とほぼ同じ15年である。とはいえメルドーも初期の頃は割にふつうの演奏だった。アルバムトータルとしての明らかな革新性や作品性を感じさせたのは「Places」 (2000)からだ。とすれば彼も「Highway Rider」 (2010) までは、ぴったり10年である。

 こんなふうに90年代から2000年代にかけ、新しいジャズの地平を切り開いた3人の天才は同じような時期、同じような期間(10年間)にわたり才能を発揮した。そして奇しくも同じ頃(2009年~2010年)に、「今までやってないことをやらねば」という観念にかられて自爆したことになる。

 彼ら3人は今後、過去の諸作をはるかに凌駕する作品をまた生み出すことはあるのだろうか? いや、どうも旬は過ぎた感がある。とすれば天才の賞味期限とは、案外、せいぜい10年ぐらいなのかもしれない。

メルドーのピークは2000年代の前半か?

 ブラッド・メルドーはロックの楽曲を積極的にレパートリーに取り入れ、ジャンルを超えた演奏をしてきた。またリズムの解釈なども革新的だった。そのため保守的で頑迷なジャズ評論家やジャズマニアからたびたび標的にされた。

 例えばメルドーの軌跡を振り返ると、デビュー作の「Introducing Brad Mehldau」 (1995年録音) からしてかなりの完成度だ。特にM-1~5におけるグレナディア / ロッシ組のリズムの解釈は非常に新しく、この時点で早くも古いジャズファンはついて行けないかもしれない。

 百歩譲ってセカンド作 「The Art of the Trio, Vol. 1」 (1996年録音)あたりまでなら、保守派、革新派(若いリスナーを仮にこう呼ぶ)の誰もが「いい」と評価しそうだ。だがニック・ドレイクやレディオヘッドの楽曲を取り上げたスタジオ録音3作目 The Art of the Trio, Vol. 3 「Songs」 (1998年録音) の時点で、はっきり「コマーシャルすぎる」、「ジャズじゃない」と叩く人が登場する。

 個人的にはロックもふつうに聴くのでこんな説にはまったく組しないが、メルドーの頂点はやはり2000年代の前半あたりだったのではないかと考えている。すなわち「Places」 (2000年録音)と、Art of the Trio, Vol. 5 「Progression」 (2000年ライブ録音)、「House on the Hill」 (2002年10月に「Anything Goes」と同時録音) の3作が立て続けに録音された時期だ。

 特に「Places」と「House on the Hill」が持つ作品性、芸術性は諸作の中で突出しており、音を聴いただけで「そこには何か得体の知れないストーリーが潜んでいるのではないか?」と感じさせる気配がある。インストゥルメンタルでありながら、音で歌詞をイメージさせるかのような奥深さをもっている。またメロディーだけでなくリズムの解釈も新しく、2000年代へと続く新しいジャズの流れを作ったといえる。

 一方、初期のライブ「Live At The Village Vanguard」 (1997年録音)、「Back At The Vanguard」 (1999年録音) は、音符をひたすら速くたくさん詰め込もうとするメルドーの若気の至りが(ライブ演奏ということもあり)爆発しており、個人的にはうるさくて聴いていられない。だが2000年にライブ録音された傑作「Progression」 はまったくそんなことはなく、抑えて弾くところは抑える、行くところは行く、というメリハリがついて円熟味を感じさせる。

 その後リリースされた「Day is Done」 (2005年録音) や 「Live」 (2006年録音) はエンターテインメントとしてふつうに楽しめるが、前出「Places」や「House on the Hill」が持っていたようなエポックメイキングな革新性や新規性、独自性はもはやない。結論的には、メルドーが芸術性や作品性を世に問い、最高にトンガっていた時期はやはり2000年代の前半までだったように感じる。

 新作の 「Ode」 はそうした神がかった崇高さのようなものからはもはや突き抜けた、キャッチーなメロディーが耳に残る優れたポップ・ミュージックといえるかもしれない。
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テーマ : JAZZ
ジャンル : 音楽

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「The Enemies of Energy」 (2000)は、録音年ではなく「リリース年」です。当該記事中、「アルバム名」 (○○年録音)のように特別「録音」と表記しているもの以外はすべて「リリース年」です。ご参考まで。
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